僕がカギ屋になってから、解錠を主な仕事をするようになってから何回もゴールデンウィークを過ごしましたがある年の1回を除いて全て安否確認の依頼がありました。今年のゴールデンウィークもありました。
特にゴールデンウィークと正月の安否確認はかなり悲惨なのです。
どちらとも長期の休みなので検死官がなかなか来ないことがあるので現場で長い時間待機することもあるんです。事件性があったり御遺体の身元確認ができない場合(御遺体がかなり傷んでいる場合)などは本当に悲惨なんです。
今回は解錠が終わって検死官が来るのを待っている時に別の安否確認の依頼があってすごく焦ったんです。まだ生きているかもしれない、早く行かなければ・・・ここから次の現場まで25キロあるのに・・・と思いながらも時間は無情に過ぎていく・・・立ち合いの警察官に僕の住所や電話番号、生年月日などを伝えてすぐに次の現場に向かう(今回は次の現場に着くまでにキーが見つかったとのことだったのでキャンセルになりました。ですが亡くなられていたみたいです)・・・。
自分でもなんでこんな話を書いているかわからないんですがね・・・でも僕は漠然と思うんです。
完全ではありませんが孤独死はある程度防ぐことができるんではないかと。
僕がした安否確認の解錠で餓死を疑われる人がいなかったのは本当に偶然かもしれませんが餓死というのは少ないと感じます。この社会は餓死を見過ごすほど非情ではないしこの国の人もまた然りです。警察官の犯罪や教師の猥褻行為は鬼の首を獲ったように騒ぎ立てるこの国で餓死が報道されないのは餓死が無いとはいいませんが少ないのではないかと思うんです。
病は努力して治せるものではないかもしれませんが少なくとも孤独死しないように明日を生きる 動機 を持つことは体や心をいたわる力になると思います。
僕は 希望 という言葉を軽々しく使いたくありませんが 希望 という言葉ではなく
なんとかして明日まで生きよう
と思う心は持つことができると思っています。
それは コンチクショウめ でも 美味しいものが食べたい でも なんでもいいと思います(僕はけっこう 恨み みたいなものが生きる動機になっているのではないかなあと思っています。それはそれで体と心に悪いとは思うんですが